街角経済16 沙羅双樹の花の移ろいを投資に活かせるか –敗者に焦点を当てる平家物語の面白さ

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ほぼ1年ほど前の冬の頃の話ですが、「街角経済」企画、
「街角経済8-1 沙羅双樹の花の色を見てきた –投資は「盛者必衰の世界」であることをきちんと認識しようヽ(´ー`)ノ」で、日暮里にある天王寺(谷中霊園の隣にある)にいき沙羅双樹の花を見てきた話をしました。その中で、諸行無常、盛者必衰の話をさせていただきました。

今回はそれを踏まえ、平家物語における「盛者必衰」という投資に通じるテーマを踏まえた上で、さらに新たな「子を思う親の心」という観点で、話を進めていきたいと思います。

平家物語は「驕れる者久しからず」という出だしの通り、おごれる人が落ちぶれる世の中の道理を説いています。投資の中でもよく見られる話で、株式投資の格言の中にも「頭と尻尾はくれてやれ」というものがあります。一番いい時がピークでそのあと落ち目に、そして悲惨な時こそが底でその後は上向きになる転換点ということですね。そう考えると、日々今日は絶好調の時はじつは落ち込むべきで、最悪で死にたくなる時ほど絶好のチャンスといえます。中庸を是とする哲学者の言葉とかぶりますね。論語や四書の中の「中庸」です。
人間は、儲かって絶好調の時ほど饒舌になるものです。また、損をしているときは誰とも株の話をしたくなくなるものです。そういう人間の本質がある中で、儲かっている時に驕らないようにしていくことが重要かと思います。

この驕れるものテーマから、もう一つ面白いテーマが平家物語にはあります。
それは、「子を思う親の思い」。負けている時こそ、大事にすべきものがある!
平家物語で、平家が負けて状況不利になっていく平家がどのように家族をケアしていくか?
そして、滅び行く運命を受け止めながら、自分の子孫を大事に愛情を持って対応したか?
戦乱の世の中だからこそ、現代でも一番大事な家族や子供をおもう思いが焦点になります。

投資でも似たような状況がありますね。最悪な状況で何をするか?そして、長い時間を使って自分の資産をどう増やしていくか、残していくか?というのが重要テーマです。
当ブログのテーマは、「価値」と「価格」です。勝負には負けている、つまり株の収益面で負けている局面でも、実は本質的に大事にするべきものがあるということです。それは、家族への愛情であって、株の世界では価値、企業価値になります。

世の中の花の移ろいに騙されずに、常に価値を意識した投資を心がけましょう。(^o^)丿

負けるが勝ち! 負けるが「価値」です!(笑)

それではここからは、私が好きな平家物語の話を紹介していきます。

————– 一つ目は、「維盛都落ち」 —————–
敗戦濃厚な平家が都を明け渡して、西国に下る話です。
平清盛の嫡々(長男・重盛の長男)である維盛は落ちて行く時に、妻子を京都において落ちていきます。その時に、妻や子供の引き止めに耐えられず離れられずにいます。最後は弟の資盛に急かされ落ちていくことになるのですが、結局、一ノ谷の戦いで抜けだして京に戻ろうとしてしまいます。妻子や娘をおもう思いが、武士として再優先の戦いを放棄していくこの事例は、日本文学の中でも重要な場面であると思います。

投資をされる方も何のために投資をしているかをいつも考えて、投資判断をしていきたいものですね。(*´∀`*)

—– 本文 ——

すでにたヽんとし給へば、袖にすが(ッ)て、「都には父もなし、母もなし。捨られまいらせて後、又誰にかはみゆべきに、いかならん人にも見えよな(ン)ど承はるこそうらめしけれ。前世の契ありければ、人こそ憐み給ふ共、又人ごとにしもや情をかくべき。いづくまでもともなひ奉り、同じ野原の露ともきえ、ひとつ底のみくづともならんとこそ契しに、さればさ夜のね覚のむつごとは、皆偽になりにけり。せめては身ひとつならばいかヾせん、すてられ奉る身のうさをおもひ知(ッ)てもとヾまりなん、おさなき者共をば、誰に見ゆづり、いかにせよとかおぼしめす。うらめしうもとヾめ給ふ物哉」と、且(かつ)はうらみ且はしたひ給ふ。

————– 次は、「敦盛最期」です。 —————–
平敦盛は、一ノ谷の戦いで参戦し、馬で敗走します。沖の平家方の船に向かい、馬を泳がせている時に源氏の屈強の武士、熊谷次郎直実に呼び止められます。

敵に背を向けて逃げるのは卑怯でしょう!お戻りなさい!

若い敦盛(14歳)は、あっと言う間に組み伏せられて、首を斬られそうになります。
しかし、その若さに気づいた熊谷次郎直実は、先日怪我をしたわが子のことも頭をよぎり、なんとか逃がしてあげようと考えます。

その後のやり取りが見ものです。下記、原文ですが、涙を誘う展開です。
—- 本文 —–

いくさやぶれにければ、熊谷次郎直実、「平家の公達たすけ船にのらんと、汀の方へぞおち給らん。あはれ、よからう大将軍にくまばや」とて、磯の方へあゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄の匂の鎧きて、くはがたうたる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはききりふの矢おひ、しげ籐の弓もて連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍をいてのたる武者一騎、沖なる船にめをかけて、海へざっとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、
熊谷、
「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせたまふものかな。返させたまへ。」
と扇を上げて招きければ、招かれてとつて返す。みぎはに打ち上がらんとするところに、押し並べてむずと組んでどうど落ち、とつて押さへて首をかかんと、かぶとを押しあふのけて見ければ、年十六、七ばかりなるが、薄化粧してかねぐろなり。わが子の小次郎がよはひほどにて、容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立つべしともおぼえず。
「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせたまへ。助けまゐらせん。」と申せば、
「なんぢはたそ。」
と問ひたまふ。
「ものその者で候はねども、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実。」
と名のり申す。
「さては、なんぢにあふては名のるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵ぞ。名のらずとも、首を取つて人に問へ。見知らうずるぞ。」
とぞのたまひける。
熊谷、
「あつぱれ、大将軍や。この人一人討ちたてまつたりとも、負くべき戦に勝つべきやうもなし。また討ちたてまつらずとも、勝つべき戦に負くることよもあらじ。小次郎が薄手負ひたるをだに、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆きたまはんずらん。あはれ、助けたてまつらばや。」
と思ひて、後ろをきつと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりで続いたり。
熊谷涙をおさへて申しけるは、
「助けまゐらせんとは存じ候へども、味方の軍兵雲霞のごとく候ふ。よも逃れさせたまはじ。人手にかけまゐらせんより、同じくは、直実が手にかけまゐらせて、のちの御孝養をこそつかまつり候はめ。」
と申しければ、
「ただ、とくとく首を取れ。」
とぞのたまひける。
熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀を立つべしともおぼえず、目もくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべきことならねば、泣く泣く首をぞかいてんげる。
「あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかるうき目をば見るべき。情けなうも討ちたてまつるものかな。」
とかきくどき、そでを顔に押し当てて、さめざめとぞ泣きゐたる。

やくうあて、さてもあるべきならねば、よろい直垂をとって、頸をつつまんとしけるに、錦の袋にいれたる笛をぞ腰にさされたる。
「あないとおし、この暁城のうちにて管弦し給ひつるは、この人々にておはしけり。当時味方に東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛をもつ人はよもあらじ。上ろうは猶もやさしかりけり」
とて、九郎御曹司の見参に入りたりければ、是を見る人は涙をながさずといふことなし。後にきけば、修理大夫経盛の子息に大夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。それよりしてこそ熊谷が発心のおもひはすすみけれ。件の笛はおほぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院より給はられたりけるとぞ聞えし。経盛相伝せられたりしを、敦盛器量たるによって、もたれたりけるとかや。名をばさ枝とぞ申ける。

————– 三つ目は、「知盛最期」 —————–
平知盛は、一ノ谷の戦いで、長男の知章を失っています。敵大将が父知盛に組み付くところを、長男の知章は分け入って助けた後、討ち死にします。息子を自分の身代わりに、目の前で失ってしまった知盛の心境は、心余るものがあります。

そして、平知盛が、最後に発した言葉↓。
この言葉を残して、平知盛は、船の錨を体に巻きつけて、壇ノ浦の海に自ら沈んでいきます!

—- 本文 —–

「見るべき程の事をば見つ。」

↑最後の平知盛の言葉。この言葉で、平家物語が終わることができると言われています。

————– そして、最後は、「先帝身投」 —————–
壇ノ浦に追い詰められた平家は、最後は自害を選ぶ者、源氏に捕らえられる者、数々のドラマが展開されます。

その中で、安徳天皇は、祖母・二位尼(平時子)に抱えられ、海の中へと沈んでいきます。
その祖母とのやり取りは下記で↓。原文で、申し訳ありませんが、原文が一番いいです。

—- 本文 —-
主上今年は八歳にならせ給へども、御としの程よりはるかにねびさせ給ひて、御かたちうつくしくあたりもてりかかやくばかりなり。御ぐし黒うゆらゆらとして、御せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御様にて、
「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ」
と仰せければ、いとけなき君にむかひ奉り、涙をおさへて申されけるは、
「君はいまだしろしめされさぶらはずや。先世の十善戒行の御力によ(ッ)て、いま万乗の主と生れさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでにつきさせ給ひぬ。まづ東にむかはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西方浄土の来迎のあづからむとおぼしめし、西にむかはせ給ひて御念仏さぶらふべし。この国は粟散辺地とて心憂きさかひにてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき処へ具し参らせさぶらふぞ」
と泣く泣く申させ給ひければ、山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて御涙におぼれ、ちいさくうつくしき御手をあはせ、まづ東をふしをがみ、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西にむかはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、
「浪の下にも都のさぶらふぞ」
となぐさめ奉(ッ)て、千尋の底へぞ入り給ふ。

悲しき哉、無常の春の風、忽ちに花の御すがたをちらし、なさけなきかな、分段のあらき浪、玉体を沈め奉る。殿をば長生と名づけてながきすみかとさだめ、門をば不老と号して老せぬとざしとかきたれども、いまだ十歳のうちにして、底の水屑とならせ給ふ。十善帝位の御果報申すもなかなかおろかなり。

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もりかずお
もりかずお代表