2年目の寄付3 –2017年度は寄付を始めて2年目。昨年に引き続き、孤児院への寄付を実施。寄付金額は倍に!さらにJビレッジにも少額を寄付してみた。
昨年から寄付を始めました。理由は、一昨年に住宅ローンを完済し、少し家計が楽になったこと。また、少しながらも投資で配当をいただくようになって、社会に還元することも考えるようになったからです。
寄付に至るまでの経緯や苦労は昨年の記事↓をご参照下さい。
初めての寄付1 –児童養護施設への寄付を実行に移してみました。寄付に至るまでの道のりを纏めました。ヽ(^o^)丿
■概要
昨年に引き続き、孤児院への寄付を実施。
寄付金額は、昨年5万円を倍にして、10万円を納めさせて頂きました。
また今回、Jビレッジにも少額(1万円)を寄付させて頂きました。
■寄付先、愛知育児院 南山寮
寄付先は、愛知育児院の中の、児童養護施設「南山寮」というところです。
愛知育児院のあゆみは、こちら↓を見てみて下さい。少し転載させて頂きます。
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明治19年、愛知育児院は熱田伝馬町の正覚寺境内から初めの一歩を踏み出しました。 生みの親は、森井清八、当時42歳。有松絞の紺屋(染物屋)の主人でした。森井の生家は、維新前後の混乱で、放浪する人たちがいやでも目につく東海道沿いにあり、清八の父、平九郎は、そうした赤貧の旅人や物乞いに食べ物や衣服を与え、無料で泊めさせるような人柄でした。そんな家庭で育った純粋な男の心を揺さぶる事件が明治15年に発生します。それは、養育料つきの赤ちゃんを金目当てでもらい受けた男が養育料だけ取って子どもを次々と殺してしまうという凄惨な事件でした。隣町で起きたこの事件が清八の心を奮い立たせ、この年から家業の一切を妻子に託し育児院設立のために奔走し始めたのです。 清八は、まず愛知、知多の両郡、名古屋の篤志家を次々と訪ね、協力を呼びかけます。明治17年には、大阪愛育社という育児院の存在を知り、直接大阪まで出かけて運営の仕方などを視察しました。しかし、当時の民間において、清八が手がけようとした事業はほとんど未開の分野であり、力のない庶民が計画することは無謀とも思える事業でした。
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「愛知育児院のあゆみ」
■寄付額推移
愛知育児院南山寮
・2016年 50,000円
・2017年 100,000円
Jビレッジ
・2017年 10,000円
これからも頑張っていきます。m(_ _)m
ワタクシゴトですが、2018年5月に本を出版しました。
この記事のまとめ:
- 2017年の寄付は、愛知育児院南山寮に倍増の10万円
- Jビレッジに1万円
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