寄付のすすめ7 –2020年秋の寄附。愛知育児院さんに寄附を始めて5年目。春にはコロナウィルス禍もあり追加寄付をしていましたが、秋の部の寄付です。m(_ _)m
2016年から寄付を始めて、今年で5年目になりますが、今年は春にコロナウィルス禍の状況でしたので、愛知育児院さんに急遽、追加寄付を行っていました。
今回は毎年定常的に寄付をさせていただいている、秋の部の寄付についてのご報告です。
寄付に至るまでの経緯は下記の記事↓をご参照下さい。
初めての寄付1 –児童養護施設への寄付を実行に移してみました。寄付に至るまでの道のりを纏めました。ヽ(^o^)丿
■今回の追加寄附
愛知育児院さんという名古屋の児童養護施設への寄付を続けています。
今年も米国株式、中国株式で頂いた配当を原資として、寄付をしました。
これまでの寄付は、
2016年 50,000円
2017年 100,000円
2018年 100,000円
2019年 150,000円
2020年4月 100,000円
合計 650,000万円合計で65万円になりました。
■投資×寄付
今まで私は、投資戦略として、価値ある企業を長く持つ、というポリシーで投資を行ってきました。その上で、配当を頂いたら、一部を寄付に回すという循環を作っています。
世の中は「Give&Give&Give」の循環で回っていることに、この頃気づいてきました。まずは自分からGiveを実践していきたいと思っています。
■寄付先、愛知育児院 南山寮
寄付先は、愛知育児院の中の、児童養護施設「南山寮」というところです。
愛知育児院のあゆみは、こちら↓を見てみて下さい。少し転載させて頂きます。
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明治19年、愛知育児院は熱田伝馬町の正覚寺境内から初めの一歩を踏み出しました。 生みの親は、森井清八、当時42歳。有松絞の紺屋(染物屋)の主人でした。森井の生家は、維新前後の混乱で、放浪する人たちがいやでも目につく東海道沿いにあり、清八の父、平九郎は、そうした赤貧の旅人や物乞いに食べ物や衣服を与え、無料で泊めさせるような人柄でした。そんな家庭で育った純粋な男の心を揺さぶる事件が明治15年に発生します。それは、養育料つきの赤ちゃんを金目当てでもらい受けた男が養育料だけ取って子どもを次々と殺してしまうという凄惨な事件でした。隣町で起きたこの事件が清八の心を奮い立たせ、この年から家業の一切を妻子に託し育児院設立のために奔走し始めたのです。 清八は、まず愛知、知多の両郡、名古屋の篤志家を次々と訪ね、協力を呼びかけます。明治17年には、大阪愛育社という育児院の存在を知り、直接大阪まで出かけて運営の仕方などを視察しました。しかし、当時の民間において、清八が手がけようとした事業はほとんど未開の分野であり、力のない庶民が計画することは無謀とも思える事業でした。
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「愛知育児院のあゆみ」
■人生の取り組みとしての寄付
私の人生の取り組みは、4つの掛け算で成り立っています。
①お仕事としての「気象」
②趣味としての「投資」
③人生としての「フットボール」
④それらの集大成としての「寄付」
これらは、未来の日本にとっても、ともに大事なものであると思っています。
寄付については、将来いつかは、恵まれない方々への事業を起こそうと思っているのですが、そのベースを作るためにも寄付の実践、活動を始めています。
ワタクシゴトですが、2018年5月に本を出版しました。
この記事のまとめ:
- 2016年から寄付を開始し、5年目
- 寄付先は、愛知育児院さん
- 今年は春に追加寄付10万円を実施
- 今回はさらに通常通り15万円を寄付
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