寄付のすすめ10 –2021年の寄付について。今年の愛知育児院さんへの寄付は20万円、総額は85万円になりました。
初めての寄付1 –児童養護施設への寄付を実行に移してみました。寄付に至るまでの道のりを纏めました。ヽ(^o^)丿
■今回の寄付、配当ベース
愛知育児院さんという名古屋の児童養護施設への寄付を続けています。
今回は、20万円を寄付させていただきました。
■これまでの私の寄付の足跡
2016年11月 50,000円
2017年11月 100,000円
2018年11月 100,000円
2019年11月 150,000円
2020年4月 100,000円
2020年10月 150,000円
合計 850,000円
寄付先は、愛知育児院の中の、児童養護施設「南山寮」というところです。
愛知育児院のあゆみは、こちら↓を見てみて下さい。少し転載させて頂きます。
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明治19年、愛知育児院は熱田伝馬町の正覚寺境内から初めの一歩を踏み出しました。 生みの親は、森井清八、当時42歳。有松絞の紺屋(染物屋)の主人でした。森井の生家は、維新前後の混乱で、放浪する人たちがいやでも目につく東海道沿いにあり、清八の父、平九郎は、そうした赤貧の旅人や物乞いに食べ物や衣服を与え、無料で泊めさせるような人柄でした。そんな家庭で育った純粋な男の心を揺さぶる事件が明治15年に発生します。それは、養育料つきの赤ちゃんを金目当てでもらい受けた男が養育料だけ取って子どもを次々と殺してしまうという凄惨な事件でした。隣町で起きたこの事件が清八の心を奮い立たせ、この年から家業の一切を妻子に託し育児院設立のために奔走し始めたのです。 清八は、まず愛知、知多の両郡、名古屋の篤志家を次々と訪ね、協力を呼びかけます。明治17年には、大阪愛育社という育児院の存在を知り、直接大阪まで出かけて運営の仕方などを視察しました。しかし、当時の民間において、清八が手がけようとした事業はほとんど未開の分野であり、力のない庶民が計画することは無謀とも思える事業でした。
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「愛知育児院のあゆみ」
■人生の取り組みとしての寄付
私の人生の取り組みは、4つの柱で活動しています。
①お仕事・本業としての「気象」
②趣味としての「投資」
③人生としての「フットボール」
④それらの集大成としての「寄付」
これらの掛け算を経て、恵まれない方々へ何かできればな、と思っています。
ワタクシゴトですが、2018年5月に本を出版しました。
この記事のまとめ:
- 2021年の寄付は20万円
- 愛知育児院さんへの寄付総額は85万円
- 愛知育児院さんのセカンドキャリアの成立が課題
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