リスクへの対応・『確率』 --人間の感覚に相容れない『確率』に向き合うには?確率を元にした良いディシジョンが、人生をいい方向に向けていく!

インターネットの匿名掲示板に次のような面白い書き込みがありましたので抜粋して、今回は「確率」について考えてみたいと思います。
なお、匿名掲示板の引用は一番下に記してあります。

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確率というのは中学生の頃から習いますが、なかなか感覚的に相容れないところがあります。また、この頃は、日常生活レベルでも天気予報などを中心に確率表現が利用される状況です。

しかしながら、雨が降る確率が40%と言われて傘を持つかどうか、イヤーな気持ちになった方も多いかと思います。

私の経験では、量子力学の「シュレーディンガーの猫」の話で、猫が生きている確率が60%、死んでいる確率が40%等と言われて、どっちやねん!と直感的に思ったことがあり、やはり人間は確率的な発想は本能レベルではできないものなんだろうな、と思っています。

生存競争の中で生きてきた生物として、ゼロイチで決まらないものは悠長すぎて直感では感じられないのでしょうね。

そういえば、マイケル・サンデル教授の話の中で、「アフガニスタンのヤギ飼い」の実話があって、戦争中の意思決定で、結果的に米国の兵士が後悔をするというものがあるのですが、生き死にを問われている中で、今後状況が悪化して自分が死ぬ確率が25%などと悠長に考えてられないというのが、人間の本質なのでしょう。

--- ここから引用 ----
外貨を買うにはリスクはある。
しかし、買わないリスクもある。
何かするにはリスクがある。
しかし、何もしないことにもリスクがある。
当たり前の事でも理解できてない人が意外と多い。
何もしないことがノーリスクと考えている人は、環境の変化に非常に弱い。環境が大きく変わる場合は、何もしない方が高リスクのケースが多くなるから。
環境への適応や問題への対処は、何もしないで適応や解決を期待することが不可能だから。

銭無しは常に分が悪い選択ばかりするから銭無しになる。
こいつは学歴の差ではなく、本能レベルのリスク評価能力が低い。

このスレッドにいる、「日本は大丈夫、だから僕は何もしない」という人と、「日本は破綻する。全て無になるから何もしない」という人がそれに該当する。

日本は大丈夫というのは政府債務の規模や人口動態等から考えても、デフォルトの有無は別にしても、安泰のままというのは考えにくい。逆に、日本が経済衰退するのは確実にしても、全てが無になるということも確率的には非常に低い。銭無しは確率が低い、自分に都合がよいと思われる話に固執して何もしない選択を常にする。

銭無しの願望も確率ゼロではないかもしれない。でも、物事は全て同じ確率ではないことを全く理解しようとしない。何もしない口実や言い訳に都合の良いことを選択し続ける。非常に確率の低いことを持ち出し、完全じゃないから何もするなと言い出す。こういう人達は、確率が高いことに対処しないで、確率が非常に低くても、自分に都合の良いことを選択してしまう。

分の悪い選択と対処ばかりするから、結局は銭無しになる確率が非常に高くなる。常に実現性が低い選択をし続けるから。これは必ずしも低学歴だからではない。高学歴でもリスク評価がおかしい人は存在する。持って生まれた性質なのだ。
--- ここまで ----

これらの書き込みは非常に乱暴ですが、考えさせられる内容でした。

人間の直感とは相容れない感覚ですが、毎日毎日の選択が、結局、確率的にはいい結果を生みます。
とにかく少しでも自分が有利な状況に身を置けるように、日々のディシジョンを大切にしたいですね。

この感覚に、時間軸の確率をかけ合わせれば、長い目で見れば成功する状況が生み出しやすいと思います。

この記事のまとめ:

  • 人間は本質的に、確率を受け入れられない性分なのだろう
  • ただ、日々の選択について、確率を意識して行うと良い方向に向いていく
  • 日々のディシジョンを大切にしよう